時をかける少女


 映画を見たので原作(というか前日譚というか)を読んでみる。筒井康隆は「農協、月へ行く」くらいしか読んだ事がない。
 で。一番驚いたのが「時をかける少女」が中編だったことだ(苦笑)。
 話としては、まあ、失礼を承知で言ってしまえば普通。この辺はもともとジュヴナイルとして書かれたという事情も考慮しないといけないのだろうが。他に収録されている二編も同様。
 ただ、これが三十年以上前に書かれた事を踏まえてみれば、彼の先取性たるや驚異の一言である。
 「時をかける少女」が何度も映像化されている理由を推測すると、まずはタイトルの素晴らしさ。何とも想像力を刺激される好タイトルである。そして「少女」「時間跳躍」「悲恋」みたいなガジェットの相性の良さを証明した事なんじゃないかと思う。これらの基礎設定を元に話を膨らませやすいんだよね。だから、今やっているアニメ版みたいな換骨奪胎が可能な訳だ。